銭湯の壁絵について ペンキ絵
ペンキ絵は「壁の絵」で、銭湯でよく見られる壁絵を意味します。最初の富士山の壁画は、川越広四郎氏によるもので、1912年に東京の神田猿楽町の「キカイ湯」という銭湯で、子供達を楽しませるために描かれたのが発祥です。日本人にとって最も象徴的な富士山が図柄として描かれることが多いですが、山や日本の田舎の風景も見られます。
しかし日本の迷信による例外もあり、赤い紅葉は秋になると葉が落ちるので描くことはできません。また、猿は「去る」と同音なので描かれません。画家は浴場背景画絵師またはペンキ絵師と呼ばれ、今日このユニークな仕事をされている絵師は東京では3人しか残っていません。

丸山清人さんは1935年東京で生まれました。彼は銭湯に特化した広告会社、背景広告社で働いていました。彼は45歳の時に、フリーランスの画家としてスタートしました。
丸山さんの公式ウェブサイト:http://japa​​n-fujiyama.com/

中島盛夫さんは1945年福島に生まれました。彼は丸山清人さんの叔父で、背景広告社のディレクターだった丸山菊男さんから、職人の技を学びました。彼は伝統的な絵筆を使う代わりに、ペイントローラーを使用してペンキ絵を手がけた最初の先駆者です。これまでに彼は5000以上の富士山を描きました。
中島さんの公式ウェブサイト:http://morionakajima.com/

田中みずきさんは、1983年大阪に生まれました。大学で彼女はペンキ絵に関する小論文を書き、絵師の中島さんに会い、彼に壁絵の技法を学びたいと請いました。最初、彼は田中さんにペンキ絵の描画技法を教えることに同意しませんでしたが、彼女は屈せず、中島さんの道具を準備したりきれいにしたりして中島さんの補助を始めました。数年の間、彼女が許された唯一の仕事は空の青の部分を塗ることでしたが、九年目にしてようやく全体のペンキ絵を任されるようになりました。
田中みずきさんの公式ウェブサイト:http://mizu111.blog40.fc2.com/

下のオンラインショップ上で彼らの芸術作品を購入することができます:
丸山清人
http://japa​​n-fujiyama.ocnk.net/
中島盛夫
http://cocowa24.ocnk.net/

This post is also available in: 英語